白とか青とか申告を色で分けている意味は?
個人事業の場合、申告は「白色」と「青色」を選ぶことができます。そもそも、なぜ色分けいているのでしょうか?また、その違いは何でしょうか?さらにはそれぞれのメリット・デメリットはどういう部分なのでしょうか?
ここでは「青色申告制度」が生まれた背景を説明します。
きっかけは「シャウプ勧告」(1949年)
確定申告の青色申告制度が生まれたのは、1949年に発表が行われた日本税制報告書、いわゆるシャウプ勧告が切っ掛けとなっています。シャウプ勧告は、コロンビア大学教授を務めていたカールシャウプを中心とした、使節団が日本国内を数ヶ月間視察してまとめ上げたものです。
青色申告がこの色になった理由は、彼が日本人に青色について尋ねたところ、青空のように気持ちが良いという答えが返ってきたことに由来します。制度の基本になったのは、戦後の日本に新しい租税制度を作る必要があったGHQが、使節団を結成してこれまでの問題点から新しく構築したものです。
つまり青色申告は戦前、戦中の租税制度の問題点を、GHQによって作られた使節団が分析を行った上で、新たに作り上げたものだといえます。戦中戦後の日本の租税制度には、直接税中心の税制や戦中体制重視の多くの間接税といった、不公平で複雑な問題点が指摘されています。
また、当時の日本は骨組みにおいて公平であっても、実際の運用シーンでは不公平な点がいくつもあることで知られます。例えば所得税が家単位の合算申告制で、給与所得者が有利になっている、というような問題点があったといえるでしょう。
賦課課税制度の下では、国の担当者がお店の規模をチェックしたり、納税額を決めて徴収する運用が行われていました。
GHQによる税制の民主化
GHQは税制にも民主化が必要だと考え、シャウプ使節団を作って日本に派遣するに至ります。アメリカからやってきたシャウプ使節団は、こういった不公平な制度を指摘したり是正の必要性を唱え、やがてはそれらが青色申告制度の誕生へと繋がります。
他にも当時は相対的に地方自治体の財政力が弱く、国税比率の高さ故に、自治体が国の補助金に頼っていた側面があります。地方自治体の独立性に問題点があったので、これを改善する仕組みの盛り込みも検討されることになります。
税務行政においては、申告納税制度の所得税の中に、納税額を安くする合法的な抜け道が複数あったとされます。
戦後の税制制度は不完全な部分が少なくなかったので、帳簿の不備を悪用した脱税も起こりました。シャウプ勧告では、法人税や間接税の脱税が多いと指摘が行われていて、これらを是正する必要があると日本に迫ります。
いくつもの問題点を指摘した、その後に勧告した税制改革の中に、青色申告制度の導入も含まれています。税負担の公平性の担保と資本価値の保全に加えて、直接税中心主義の見直しや間接税の整理、そして地方自治体の独立性強化が並びます。
今もほぼ同じ骨格
青色申告制度については、税務行政の改善の項目に含まれていて、前年実績をベースとした申告や申告書の簡易化と、個人課税の移行と共に検討されています。
1951年に行われた実際の税制改革は、シャウプ勧告での問題点の指摘に基づく改革案からは少し変わっていますが、それでも基本的な骨子は共通です。青色申告制度を含む税制制度は、現在もほぼ当時の骨組みのままですから、いかに完成度が高くまた変更が難しいかを窺わせます。
所得税の改革は勧告通りに行われ、富裕税は運用困難を理由に1953年に廃止されています。この点は所得税の最高税率を上げて対応していて、同時に有価証券譲渡益課税も廃止済みです。
間接税の導入で地方財政を強化
間接税も勧告に従い殆どそのまま改革されていますが、間接税の導入が1989年の消費税導入まで一部に留まっていたので、この時までは直接税中心主義のままです。地方税制は、シャウプが目標を大きく掲げていた改善点で、強化を目的とした新しい税法の提案が行われています。
以前は国税に対する付加税的な側面が大きく、税金の種類に対して税収の少なさが指摘されました。地方自治体の財政力が弱かったことから、地方税の収入を拡充して行く方向で、独立性を実現する税制改正が提案されます。
シャウプ勧告による地方税制は、今も有効で継続が行われてはいますが、本格的に見直されるようになったのは小泉政権時代の三位一体改革の提示が行われてからです。青色申告制度も、このような大きな税制改革案に盛り込まれる形で、日本が導入を行い運用している仕組みです。日本の税制の歴史を紐解いていくと、現在の制度が何故誕生しているのか、といったことが見えてきたり理解が深まります。
なぜ青色申告制度は生まれたのか
なぜ青色申告制度は生まれたのか、その問いの答えは税制運用の正常化にあって、従来のシステムを根本から改革する必要性からというのが答えになります。
戦後の日本は、これまで納税額を抑える抜け道に加えて脱税も容易だったことから、帳簿がいい加減に付けられていたと考えられます。
シャウプはここを税制改革の要と捉え、税を正しく申告するシステムの導入を重要と考えたことから、青色申告制度の誕生に至るわけです。使節団によって勧告が発表される2年前、1947年にもより民主的な申告納税制度が施行されています。
しかし、当時の不安定な社会情勢下では正しい運用が難しく、それが納税者の抜け道になっていました。青色申告は不動産と事業や山林で所得が生じる場合に、納税義務のある者が日々の収入や経費などを帳簿に付け、帳簿に基づき所得と納税額を算出、申告する制度です。
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青色申告の方法など、詳しくはこちらにも記載していますので、併せて
ご覧ください。

記帳がすべて
正確で間違いや漏れのない記帳と、そして計算や申告が求められるわけですから、現代の納税風景を見るとシャウプ達の提案した精神が今も生きています。青色申告は白色申告よりも帳簿の内容が細かいので、公的な機関や金融機関において信頼されます。
ただその分、記帳の内訳の精査が不可欠になりますし、収支の頻度が高いと計算やチェックの負担が増加します。提出書類が増えるという特徴もあるので、白色とどちらが良いかは状況によって変わってくるでしょう。
青色申告はまず先に賦課課税制度の問題があって、申告納税制度が上手く運用できていなかったことから、アメリカ側の働き掛けで生まれたシステムです。
国の運用に税収は必要不可欠ですから、税制もまた理想的に運用される必要があって、そこから正しく記帳して帳簿を付ける青色申告制度が誕生します。
当時の改革は他にも数多くありますが、帳簿や納税にまつわる国民の意識変化が起こり納税の不公平も改善されたので、青色申告が生まれた意義は大きいと分かります。
<うんちくコラム>
カール・シャウプ(当時 コロンビア大学教授)が、視察中に「日本人は青色をどのように受けとめるのか」と聞くと、「青色は気持ちのよい色です。青空のようにすっきりとした色だから」という答えが返ってきたところから、「青」を選択したともいわれています。